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「明るい社会をめざして」
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庭野日敬氏 著書「この道」一仏乗の世界をめざして より
平成11年3月5日初版(P152からP158)
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私が「明るい社会づくり運動」を提唱したのは、昭和四十四年のことであった。
世界の宗教者に平和を呼びかけながら、自分の国が道義地を掃う国であっては恥ずかしい、という思いが私にはあった。
当時、日本の社会は高度経済成長に拍車がかかり、人びとは物の豊かさだけを追いかけるのに夢中で自己中心の考えがはびこるいっぽうだった。そうして心を荒廃させていく社会の風潮に対して、お金や物が豊かになればなるほど心の豊かさを求めなければ、さまざまな困難に直面することを訴え、この私たちの社会をどうしたら充実した人間の社会にしていくことができるのかを、みんなで考え、行動にふみだそう、という呼びかけが、私の「明るい社会づくり運動の提唱であった。
その運動に、立正佼成会だけではなく他の宗教団体、さらには地域のさまざまな組織のリーダーの方々にも加わってもらい、主義主張を超えて真に明るい日本の社会をつくるために力をあわせていきたいという願いに発する行動だった。
この社会には、信仰者はもちろん、信仰をもたない人たちのなかにも、この世を明るい社会にしようと真剣にとりくんでいる人がたくさんおられるはずだ。そういう人たちの力を結集したいと考えたのだ。世界の人びとに道義的に深く信頼される品格のある国づくりこそ、これからの世界で日本が生きる唯一の道であり、それでこそ世界に貢献できる国になれるというのが私の信念であった。
その思いは現在も少しも変わることがない。そして、そういう国づくりの
めには、明るい社会づくり運動を、だれもが参加できるものにしていかなければならないのである。まず自分の身近な隣近所を明るくすることから行動を起こし、地域全体にその輪を広げていくことが大事だ。いたずらに天下国家を論じ、世界平和を唱えるのではなく、足元の一つ一つのことを大切にして、時間をかけて積み上げていかなければ日本は立ちゆかなくなる。
それは一朝一夕になるものではない。骨の折れることを忍耐づよく、あきらめずに持続していくのには、下積み役に徹し、使い走り役に徹する人たちが必要だ。その役を立正佼成会の会員がうけもたせてもらおう。
その姿をとうして、人さまに奉仕して生きるのが人間の本当の生き方であることを人々にしってもらい、それを広めていくことができれば、この社会全体を寂光土することも夢ではないはずなのである。
それは立正佼成会の会員綱領に明示された「家庭・社会・国家・世界の平和境(常寂光土)建設のため、菩薩行に挺身することを期す」実践そのものでもあった。
その私の考えに賛同して初代会長に就任してくださったのが、元NHK会長の前田義徳氏があった。(第二代会長はソニー会長の井深大氏、第三代会長は元総理の福田起夫氏、第四代会長は作家の石原慎太郎氏)佼成会の会員のみなさんが、私の提唱に賛同して全国各地で地域のリーダーの方々に熱心に呼びかけを始めてくれた。『法華経』には「斯の人世間に行じて 能く衆生の闇を滅し」(如来神力品)とある。「斯の人」とは、自分も人さまとともに救われるべく努力する人のことである。そうした会員による社会への働きかけで、明るい社会づくりの考え方に共感してくださる方々が全国に続々とあらわれてきたのであった。地域のリーダーが中心になった明るい社会づくりを推進する大会が、そこでもここでも開催されるようになった。
昭和四十四年四月二十七日、高松市でひらかれた明るい社会づくり四国地区推進大会に、私は提唱者として招かれ「物と心の世界」と題して一時間にわたって講演させてもらった。
その後、全国各地で明るい社会づくり推進大会がひらかれていった。私は各地の大会に招かれて講演を行ない、時代の流れのなかで憂慮される点について話させてもらった。
「釈尊は混沌とした現代の世相を身通されて、知識が進むにつれて人類は利己主義になり、殺伐とした社会が現出してしまうといわれています。その最大の原因は人間の限りない欲望です。
日本は国民総生産では自由諸国で世界二位になりましたが、その豊かさに感謝でき『もっともっと豊かに』と欲望をつのらせる人がふえています。それでは、いつまでたっても心の安らぐことがありません。物を中心に考えると欲望がつのるばかりで、その欲望は争いに発展してしまいます。其の幸せを得るためには、物を追求するのではなく心のあり方を問うことが大事です。仏教では『一切衆生悉有仏性』と教えています。その仏性を磨いていくことこそが真の幸せへの道であり、社会を明るくしていく道なのです」
そうしたことを、私はつよく訴えたのだった。
普門館の建設
明社推進大会、明社大会などの名目で旗上げされた明社運動の組織は、佼成会員が中心にった呼びかけで、各県各市にかたちづくられてきていた。しかし、それは最初から必ずしたやすく地域の人びとの同意が得られたわけではなかった。
「これは佼成会の新手の布教方法ではないか」と警戒する人もいた。しかし、あくまでも下積みに徹して黙々と地域での奉仕をつづけ、「下がる」修行に徹する会員の姿を見て、多くの人たちが明社運動の真意を理解してくださるようになっていった。
『四十二章経』という経典に、「人の道を施すを観て、之を助けて歓喜すれば、亦福報を得ん」という言葉が見える。広く社会の人びとのために役立つ善事の手助けをさせてもらうことによって、おのずからわき起こる歓喜、生命の充実感、それを私は会員の一人ひとりに味わってもらいたかった。『四十二章経』 の言葉は、さらにこうつづいている。「炬火の、数千百人各々炬を以て来り、その火を取けて去り、食を熟き、冥を除くも、彼の火は故の如くあるが若し。福も亦之の如し」
燃えるかがり火のもとに数百人、数千人の人がやってきて、たいまつに火をつけて持ち帰り、その火で煮炊きをしたり暗闇を明るく照らすことに使っても、元のかがり火は赤々と燃えつづけている。福(功徳) とは、そういうものなのだという意味である。
このたとえのように、一人ひとりがまず自分のいる地域を住みよくしていくために、どんな小さなことでもいいから行動を起こして、一人また一人とその行動に加わってもらい、それを大きなカにまとめていくならば、地域のさまざまな分野の指導者、国の為政者を動かすカになっていくのである。
この社会には、ただしいことに心がしっかりと定まっている人(正定聚)が、およそ10パーセント程度で、残りの八〇パーセントは、正邪のいずれか力のつよいほうにかたむく可能性のある人たち(不定聚)だといわれる。そのときどきの勢力のつよいほうに大衆は引きずられ、影響をうけやすいわけだから、引っぱるリーダーの資質いかんで社会は大きく変わってしまう。
作家の司馬遼太郎さんが現在の日本を評して「道徳的緊張感を失った日本の将来は危い」と晩年に言われたが、明社運動の提唱もまた、そのような思いに発したものであった。
昭和四十一年十一月十五日、私は六十歳の還暦を迎えた。会員のみなさんにお祝いをしてもらったその日、私は迎える昭和四十二年次の会の活動方針として、「国民皆信仰運動の展開」と「普門館の建設」の二つを打ちだした。
国民皆信仰とは、信仰や宗教に関心をもつ人たちだけを対象とするのではなく、社会のあらゆる階層の人たちに、人間としての真実の生き方、みんなで平和に幸せに暮らせる生き方を知ってもらう呼びかけだった。それが「普門の心」にほかならない。
普門の普は「あまねく」という意味であり、門は真理の門を意味する。この社会のあらゆる人びとに対して、これまで閉ざされがちだった信仰の門を大きくひらいて、真理にのっとった生き方へ導き入れる。それは、私が佼成会を創立したときからいだいてきた究極の目標であった。
この「国民皆信仰」と「宗教協力」を実現するためには、あまねく世の人びとをうけ入れなければならない。その拠点として、普門館の建設を打ちだしたのである。
「宗教は伽藍ではない」と言う人もいる。信仰は一人ひとりの心のなかにこそ存在するともいわれる。たしかにそのとおりなのだが、私は大聖堂の建設で痛感させられたことがあった。それは、大聖堂が完成したことで世間の佼成会に対する見方が大きく変わったことであった。
会員がひたすら真理の道を求めて真剣に修行していても、外部の人には、それがなかなか見えない。具体的なかたちを目の前に見せられて初めて、人びとは注目し、共感してくれる。大聖堂が完成したことで、宗教界をはじめ世間の人たちが広く立正佼成会という教団を理解し、正しく評価してくださるようになったのである。
そこから、さらに一歩ふみだしてあまねく世間に門をひらき、あらゆる人に真理の門を開放して.いこうという布教を展開するのには、その精神をそのままあらわし、また実際にそれだけの人びとをうけ入れられる建物が必要だった。
一人の力では何もできない。一つの宗教だけでは、とてもこの社会を変えることはできない。どうすれば多くの人の力を得て社会全体を変えていくことができるか。それには、機が熟するのをじっと耐えて待つことが欠かせないのである。「守愚」という言葉がある。あえて愚を守ってこそ、いっさいがまとまる場合が多い。あくまでも守愚が大事であることを、私は多くのことをとおして教えてもらってきた。(P50)
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