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健全な社会建設へ向けての意識改革運動 |
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佐 藤 秀 裕 氏
元 明るい社会づくり運動 全国協議会・拓塾々長 |
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―――「明るい社会」と「暗い社会」―――
「明るい社会」と言えば、抽象的表現であるだけにそれぞれの人が、それぞれにイメージ出来る。大方の人は人間にとって安らぎのある、楽しく生活できる社会をイメージするだろう。
さらにはっきりさせる為に「明るい」というところに、平和、理想、住みよい、豊かな、思いやりある、共生、信頼、幸福、福祉、美しい、生きがいのある、等の言葉を当てはめてみると、明るい社会のイメージは具体性をもって鮮明になってくる。逆に「暗い社会」というイメージを戦争、闘争、対立、汚染、衆愚、権力、不信、貧しい、専制、腐敗、差別、快楽、排他、などの言葉を想定することができる。
このようにたくさんの言葉で、イメージ出来る言葉を整理して誰もが理解し、認識しやすいように「明るい社会づくり運動」という、多くの人に共通の認識が、この言葉に集約されている。
他に、平和な、生きがいのある、健全な社会とか、多少具体性をもって表現しているが、現在、社会を暗くしている要因を取り除いた状態の社会。そんな社会の建設を目指しているという事が出来る。その意味では、健全な社会建設運動という事になる。
どんな社会でも、まずは世の中を戦争や抗争のない状態、生命に危険のない安心して生活出来る状態を創りあげていく事が基本だろう。
――― 制度改革と意識改革の役割 ―――
大切な事は「明るい社会」という誰もが求め望んでいる社会を、どうやって実現させるかという事である。目的は共通しているわけだから、そこに至るプロセスが大切な事となる。現実の暗い社会面をいかなる手段・方法で明るい社会にしていくか。ここにいろいろな手段・方法がとられる事になる。
現在、日本だけ見ても政治、経済、教育、環境問題等、不安な事が多くの暗い社会の要因を創っている。明るい社会を創って行くためには、極論すると二つの方法がある。
一つは、政治の力で社会体制・制度を改革、修正して行く方法。もう一つは、国民の意識を変えて行く方法である。
いわゆる「制度改革」と「意識改革」の方法である。明るい社会づくり運動というのは意識改革による方法で明るい社会を実現していくことになる。勿論、現実の社会をより良くして行くのは、先ずは政治の力に依るところが大きい。
政治と国民の意識が健全に働いていく時に、健全な社会が実現していくものであろう。良く言われるように、「政治とは国民の意識を超える事はない」と言われる。
この事は、「政治は国民の総体的意識より、上にも下にも行かない」と言う事である。
明るい社会づくり運動は、国費を使ってやるような国家的事業ではなく、民間レベルで会員の会費でまかなう事を基本にしている。政治とか行政に頼り、任せていても人間の意識や、心まで、政治とか行政が立ち入って、指導教育する事は人的にも物理的にも無理である。
その点、民間レベルで同士が集い、国民一人びとりに自覚を促していく意識改革の方法をとって行く事が、多くの理解者・協力者、共鳴者を得、社会全体を改革して行くことになる。
――― 意識改革と「縁起説」 ―――
この意識改革の方法を庭野日敬師は次のように述べている。
「・・・世の中の物資は有限であるという時代状況の中で、何の尺度を持って将来を予測するかという事が、我々の気にするところであります。仏教で説くところの「縁起説」は、自他一体という形で物事を考えて行くのです。人との出会い、触れ合いの中で関係が生ずる。『善因善果』『悪因悪果』という法則であります。人との関係を最も大事にして行けば、うまくいくのです。従って、有限の時代において自分だけ、自国だけの立場を守って行く事はこの法則から見れば「悪因」をつくる事になります。
このような意味で、お互いに「善縁」を結ぶ為に自分達で出来得る事を、社会の為に尽くす。そこに「善果」が生まれる。ここに明るい社会づくり運動を提唱した所以があるわけであります。・・・」
(昭和51年11月 都道府県代表者の集う全国総会でのあいさつ)
仏教の根本原理「因果の法則」や、法華経観に立って慈悲の心や、善意、奉仕、感謝の心を他の人に示して行く事の大切さを訴えている。
明るい社会づくり運動は、広くは助け合い、支え合う、人類平和社会建設に向けての運動であり、足元で日常のささやかな奉仕活動、ボランティア活動を実践しながら「善意、協調、奉仕」と言う、人間としての大切な行為を生活の中で生かしていく事を促している。
――― 「目的」と「手段」を分別して ―――
明るい社会づくり運動の目的は、奉仕活動や地域おこし、まちおこしにあるのではない。それは一つの「手段」である。諸々の活動(献血・募金・美化・ふるさと祭り・まちおこし活動 等)という手段を通して、多くの人々の善意の心を呼び起こして行く所に目的がある。これが、いわゆる意識改革運動となる。
今日、日本の社会風潮は、金と名誉と肩書きを求めて、他人と競争して生きて行く事が当たり前と言う事である。従って、国民の大多数の人は自己中心、物金中心、損得中心の価値観は、当然のように培われてくる。
ところが、このような価値観が自然を破壊し、汚染させ、そして人と人との対立感情を生みだし、憎悪・妬み・恨み・などから、脅しや殺人、抗争や戦争へと拡大されていく。人間社会を暗くする原因となっている。適度な競争は、どの分野においても生きて行く上で大切な必要条件である。しかし、これが過剰となる時に悲劇が起こる状況がつくられる。学校で起きている、いじめ、非行、登校拒否などはそうである。職場・地域社会における争い事のほとんどが、エゴの対立、損か得かの価値判断による対立から生じるのである。このような価値観で国民の多くが生活している限り、争いと不信、不安な状態はなくならない。信頼ある、安心して住める社会を創るためには、人間の心、意識、価値観を正しく変えていくしかない。
――― 霊性国家日本の建設と鈴木大拙 ―――
それは、ごく一部の人が自覚し、努力したところで社会全体の風潮は変わらない。国民の多数の人々が賛同し、参加し、初めて社会風潮を変える事が出来る。しかし、大多数の人々に変わってもらうのには、率先垂範のリーダーが必要となる。
意識≠ヘ社会制度、風潮を変えていく力がある。善意・奉仕・感謝≠フ心を呼び起こす事は、健全な意識を育み、生活の中で実践する方法で一人びとりの心に訴えていく。 「明るい社会」とは、豊かで便利な文明の進んだ文化的社会というような夢の世界ではなく、苦難の多い社会の中で他の人の為に尽くしたり、奉仕に生きがいを持ったりする人々が、支え合っていくような社会であり、そして運動は、健全な社会建設をめざした意識改革運動と言える。
1945年(昭和20年8月)連合軍に敗戦した日本は、新しく国づくり求められていた。世界的禅仏教者 鈴木大拙氏は、国家主義・全体主義・国家神道などに、これからの日本は依って立つべきでなく、「日本的霊性」を指導原理として、世界における日本の真の姿を示して行こうとした。特に国家神道を痛烈に批判、戦争期の思想や主義に対抗し、霊性国家日本の建設をめざした。
しかし、この構想は研究の対象とはなったが、運動化出来ずに国民の意識をたかめる事は出来なかった。
庭野日敬師の提唱した、「明るい社会づくり運動」の構想が実現していくか、どうかは国民の自覚と行動にかかっていると言える。
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